両手にマーガレット



あの人と歩くと景色が違う。

カメラのピントを変えたみたいに周りの色々がぼやける。

どうしたらいいかわかんないくらいソワソワする。

あの人もそうだといいな なんて。




「もう一軒、寄ってもよろしいですか」

 申し訳ないんですけど。そう日本が言って足を止めたのは、商店街の花屋の前だった。
ふわりと切り揃えられた黒い髪が揺れる。
香港は数歩前を歩いていた彼が急に振り向いたので驚き前にのめったが、足に力を入れ踏みとどまった。
両手に持つ買い物帰りのビニール袋、その片方は米の袋だ。
思わず道に落として袋を破りでもしたら大惨事になってしまうことは間違い無い。

「花?」
「はい。すぐ済ませますので」

 花屋に足を踏み入れる日本に香港もついて行く。
エプロンを付けた女性店員に声を掛ける日本の、香港と同じく持った白いビニール袋がかさりと鳴った。
 涼しい店内でまず目を奪われたのは鮮やかな色たちだ。
華々しい数々の薔薇、入口にはマーガレット、可愛らしいガーベラ、緑濃い観葉植物。
他にも、全ての名前はわからないが数多くの花や植物が一面に並んでいた。ある物は円筒の花立てに立てられ、ある物はガラスのケースの中に納まって。
 日本は、と香港が見ると店の中ほどで店員と話し始めている。普段から馴染みの店なのだろう、声もどこか軽やかだ。
 香港は入口からすぐの場所で端に寄り、そこの床に何も無いことを確認して重い袋を二つとも置いた。
汗に濡れて額に貼りついた髪を軽くかき上げ肩を上げ下げし、腕を肩甲骨からぐるぐると回す。
骨がパキリと音をたてた。日頃から運動はしているつもりだが、それでも米の袋を持って距離を歩くのは重労働になる。

「ええ、そうです。これを…あと、」

 日本が花を指差す。あいにく全ての声は聞き取れず会話もわからないので、香港は手持無沙汰に近くの台に並んだハーブを一つ一つ手に取って眺めた。
バジル、ローズマリー、イタリアンパセリ。独特の匂いが鼻をくすぐる。日本は洋食も大好きだった。
ならこれらも家に置いてあるのだろうか。後でそれを聞いてみようと日本に視線を戻す。
 見ればもう花は選び終わったらしく、店員が手際よく花を包んでいる最中だった。
と、手は動かしながらも日本と談笑していた店員が顔を上げる。え?と思う間に、日本も振り返りこく、と頷いた。
どちらも視線は香港に向かっている。
 首を傾げながらもぺこ、と軽く会釈すると店員もにっこり笑い日本に何か言った。

「あ、……は……です……」

 日本の答える内容の”全ては”香港には聞こえなかった。

 香港はビニール袋を持ち直し、背を向けすっと店先に出る。張り出した屋根の下、日陰で日本を待つことにした。
表の通りはぽつぽつと人が行きかい、目を閉じればあちこちからその声が聞こえる。
 瞼を降ろしたままふう、と息を吐いた。両手に掛かる袋の重みだけが嫌になる程リアルだ。

「こちらにいらしたんですか」

 日本の声に香港はゆったり目を開けた。左の肩越しに目に入る、白い紙で巻いた簡素な百合の束。
プレゼント用ではなく自宅用の花なのだとわかる。

「香港くんがいっぱい持って下さいましたから、私の手が空いてるなと思いまして」

 ね、と右手の花と左手のビニール袋を少し上げる。

「そうすね」

 歩き出した日本の横に並んで歩く。
 昼を少し過ぎているから日差しが一日で一番きつい時間は過ぎているだろうに、それでもやけに暑い日だった。
首筋をつぅと汗が伝う感触がする。

「いつもこんなん一人で買い物してるんですか」

 ゆっくり歩みを進めながら問いかけた。この買い物が毎回だとしたら相当な重労働だ。
二人分合わせれば袋三つにもなっている。この細腕にこれだけの量を全て持つのだろうか。

「いえまさか。重いものは最近は配達なんて便利なものもありますし。いつもここまでではないですよ」
「これからは俺呼んで」
「毎回お米買うわけじゃないですって」

 苦笑する日本の額にもうっすら汗が浮かんでいる。
 困り顔で見上げて来る日本が、申し訳ないが香港には可愛くてたまらない。
そんなに大差ではないが香港は日本より背が高いので、すぐ横で話をする時日本は香港を見上げることになるのだ。

「日本さんライスなきゃ死んじゃうでしょ」
「あー死んじゃいますねー…お米最高ですよ白米命です」

 肩をすくめる日本の口元は笑っていた。ふふ、と軽やかにおどける声だ。

「助かります。若い人ってすごいですね」

 香港の持つ重い米の袋も、最初日本が持とうとしたのだ。そんなことさせられないと香港が半ば強引に掴んで歩き出したものだったが。
 だってそうだろう。荷物持ち位出来なくては、買い物に付いてきた意味も無い。

「アメリカさんも、一緒に行くと自分が持つって聞かないんですよ」

 助かるのは確かなんですけど。そう言って日本は笑うが、香港は黙り込む。
 会議で「日本日本ー!」と日本の所に寄って来る青年の姿が容易に頭に浮かんだ。きっと日本の所へ訪ねて来る時もあの調子だろう。

「あの人と、よく買い物行くんすか?」
「アメリカさんよく食べるのに前触れなくいらっしゃるから。材料がどうしても足りなくなってしまうんです」
「皆、よく来ますよね」

 日本の家に来れば先客がいることも、途中で誰かが来ることもよくあった。
 彼が信頼しきっているドイツにイタリア。文化的に最近やけに仲がいいらしいフランス。
「べ、別にお前の為じゃないんだからな!」というなんかテンプレらしい台詞と共に現れる眉g…イギリス。
中国や韓国や台湾もなんだかんだで遊びに来ているらしい。この間見覚えのある菓子が居間に置いてあった。

「…今日は?」
「特に予定はありませんが。何分突然な方が多いですから」

 また誰かいらっしゃるかもしれませんね。そう言う日本の笑顔に香港は妙に胸が痛んだ。針で刺すようにちくりちくりと歯がゆい痛みだ。
 日本の笑顔は好きなのに、その全てが大好きになれない自分に感じる苛立ち。痛みの理由はわかっている。
ただの嫉妬だ。嫉妬というよりもやきもち。頭の中で言語化して、余裕の無い自分にイライラする。
 …でも。
 香港はちらりと日本の顔を見た。日本と眼が合ったがその目を自分から逸らしてしまう。

「どうしました?」
「や、なんでもない的な」



つづく





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