さてここに一つの天秤があるとする。

片方に乗っているのは世界。

僕のいるこの場所、日常、周りの人々。その他たくさんのこの世の全て。つまり決して失えないもの。

もう片方に乗っているのは己の欲望。

エゴ、わがまま、自分でもそれがそうだとわかっているのに止められない感情。

僕が愛した人は世界の均衡を保つ人。

その人が欲しいと思う強い激情。

簡単に止められたとしたら、それは果たして愛なのか?

いや、その人のいる世界を、その人自身を守る為に気持ちを押し込めることこそが愛なのか?

どちらをとればいいかなんて理性的に考えればすぐに分かる筈だ。

世界の安定とあなた。

さぁどっちを取ればいい?











「おい、どうしたんだ?」



 世界が色を取り戻した。夕焼けの茜色が眩しく眉を顰める。
若い女性特有の高い笑い声に視線を向ければ6,7メートル前方を3人のSOS団女子団員の方々が歩いていた。
朝比奈みくるの腕を掴んだ涼宮さんがまた会話の合間にやけに楽しそうに笑う。
左肩をとんとんと叩かれて僕は何も考えず首を向けた。

「古泉?具合でも悪いのか?」
 いつも眉間に皺を寄せている彼の心配げな顔に少し驚く。
僕を思考の渦から呼び戻す心地よい声。気遣わしげな彼の様子さえも嬉しくて顔の筋肉がふっと緩むのを感じた。
「いえ、大丈夫です」
 笑顔で言ったつもりが世界が妙に朧だった。まるでガラス一枚隔てた向こうの世界を見ているようだ。
「本当か?ぼーっとしているように見えるが気のせいか」
 彼にそう見えるということはたぶんそうなのだろう。だが疲れが溜まっているせいか癖となっている笑いを浮かべることしか出来なかった。
「そうですよ。あなたが僕を心配するなんて珍しいですね」

 たまにそんな風に優しくするから、期待してしまうのに。

 思っても口にはしない。僕もそれほど馬鹿じゃない。
いつも冷たい態度を取ることが多い彼が横にいてくれるだけでほのかな幸せと切なさを感じている、
そうこれは正真正銘の片思いなのだから。
思いを伝えたら嫌われてしまうかもしれないしそれ以上に世界が壊れてしまうかもしれないのだ。
 
そうまで思っているのに、僕はまた夢想する。


彼がこの気持ちを伝えても傍にいてくれたら?


彼が僕の気持ちを受け入れてくれたら?


彼が僕と同じ気持ちでいてくれたら?


 どうしようもない愚かな考えだ。
もしも万が一、いや一億分の一の確率でそれが叶ったとしよう。
待っているのは・・・世界の崩壊じゃないか。どちらにしても横にいるこのあたたかな人を失うのだ。
崩壊の場合に世界から消されるのは僕であろうが。

 当たり前だ。この世界の神が、肉親以外で最も愛する彼を消す筈が無い。そしてそこに介入する僕は間違いなく邪魔者なのだ。

 世界がまた色を無くした気がした。それなのに足だけは前に動く。前を歩く彼女たちとの距離は変わらない。
自分の考えに泣きたくなった。この絶望的な感情を消してしまえたらいいのに。

「止まれ、古泉」
「うわっ」

 ブレザーの肘あたりを掴まれて体ががくっと揺れた。必然的に歩みも止まらざるを得ない。顔を上げ、

「俺にはお前が全然平気に見えない」

  彼が僕を止めるなんていつもとまるで逆だな、とぼんやり思う。

緩慢な僕の動きに苛立つように彼がもう一回僕の袖を引いた。僕は自主的に彼に向き合う。
それにより彼は手を離し、だが困ったように頭を掻いた。僕は成す術も無く、それ以外全てを忘れてしまったようにただ彼を見つめた。
夕日を受けた彼はとても綺麗で、まるで世界に二人だけのような気がした。
切ないような嬉しいような悲しいような愛しいような思いが綯い交ぜになって心を掻き回される。黒い髪に触れたい。
・・・ああもう、まともに思考することさえ出来ないようだ。
「俺はな、古泉。心配をしているんだ。お前が言ったようにな」
 意を決したように口を開き、口を歪め、また開く。
「腹の中で何考えているかわからんが、そんな顔して平気なんて言うもんじゃない。
大体な、普段変にしっかりしている奴がぼんやりしていたら見ていておい大丈夫か、と思うのが自然に決まっているだろう。
声をかけても気づかないようじゃ話を聞いてやる気にもなる」
 で、どうしたんだ。とぶっきらぼうに訪ねる姿に、尊敬の念さえ覚えた。
彼の優しさは美徳だ。だがその鈍さは天然記念物ものだろう。
もし僕が今悩んでいるのは正にあなたへの気持ちが原因だと伝えたら、この人はどんな顔をするだろう?
そんな意地の悪いことまで浮かんだ。

「古泉?」

 でも。

「悩んでいるなら言ってみろ。例の閉鎖空間か?それとも機関とやらで何かあったのか?」

 どうしようもなくこの人を

「それとも男子高校生らしく恋の悩みか?まさか今夜の夕飯のメニューを決めかねていまして、なんて言うなよ」

 愛しく思ってしまう。

「・・・古泉?」


「嬉しいです」


 とてもとても、嬉しい。この人の優しさが、この人への愛しさが、じんわりと体に染み込み心を温める。ああこの人が好きだ。

「こんなに気にかけてもらえるなんて意外でした。その気遣い自体をとても嬉しく思いますよ、本当に」

 そうなのか?と彼がまた疑うような顔をする。ええとても、と僕が微笑む。

 自然に目を瞑った。すぐに開ける。目の前に彼がいる。世界はこんなにも明るい。
さっきよりも夕暮れの町の音が鮮明に聞こえた。思考がはっきりとして、ぎこちなさも無く笑うことが出来る。口から勝手に小さな吐息が漏れた。




「そうですね、少し疲れていたかもしれません。前の閉鎖空間での疲れが取れていなかったもので」
「そうか。無理はするなよ。勝手に悩んでぶっ倒れるくらいならちゃんと言え」
「はい」
「なんなら悩み相談くらい受け付けてやらんこともない」
「ありがとうございます。じゃあその時はお願いしますね」
 その返答に彼がふ、と笑った気がした。心臓が締まるように息が詰まる。



 遠くから彼を呼ぶ声がした。
立ち止まっていた僕らと違い歩き続けていたのであろう彼女と横の二人は進み続けていたらしく、もうかなりの距離が空いている。
彼が振り返りながら彼女に声を張り上げて返事をした。その背中からまだ目が離せない。



世界が動くその時まで。
神の怒りに触れるその日まで。
どうか彼の隣にいられますように。
僕が世界を選んでいられますように。
そう願いながらまたこう願う、




この幸せが少しでも長く続きますように。




掛けて行く彼の背中を数秒遅れて僕も追いかけた。













End




07.6.9
(加筆修正 07.7.6)


神様神様、罪というなら何故この感情をくれたの?そしてあの人は何故僕に優しいの?








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