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僕は信じられなかった。目の前の彼女は本当にこの人なのだろうか。
僕はまず自分の耳を疑った。
森さんの「やめてもいい」という言葉。
彼の「へたくそ」という言葉と同様に何を指しているのか理解出来ないものだ。理解なんか出来る筈が無い。
その鈍った思考に追い打ちを掛けるような「好きな人がいるでしょう」という台詞。
一瞬今日言葉を交わした彼の顔が、風に揺れた髪がうかんだ。
しかし目の前の彼女に焦りに似た気持ちが募る方が上だ。だってこんなの冷静な彼女が言うことではない。
「聞こえなかった?」
「聞こえてはいました、恐らく」
聞こえていたとしても処理は出来ない。まさか彼女に彼への恋情を悟られてしまった?鈍った思考がそこに辿り着いてさっと血の気が引いた。
「・・・好きな人がいるでしょう?」
繰り返される質問。いや、確信だ。微笑みを讃えている真意が見えない。
彼女のポーカーフェイスはいつも完璧なんですよね、と関係のないことを思ってしまう辺り完全に焦っている。
「何かの間違いでは」
冷静を装わなくてはと、ゆっくり言葉を紡ぐ。彼女はふっと視線を部屋の中に向けた。反射的に僕も視線の先を追う。
「あなたが機関をどこまでの組織だと思っているかは知らないけれど、この部屋に監視カメラも盗聴器も無いわ」
コツン、とデスクを叩く硬い音。それが何の解決になる?余計に僕の頭を混乱させるには充分だった。
考えろ。彼への気持ちは、機関にとっては邪魔なものだろう。考えて動かなければ。
でないと、僕は彼から引き離されるかもしれない。彼の手の届かない所へ異動させるくらい、機関なら簡単なことなのだから。
森さんはつまり、この会話は自分たち二人にしか聞こえないと言うつもりなのだろう。
でも、僅かな希望しかなくても僕はこの想いがばれていないと信じたかった。
だって何よりこれは誰にも言ったことの無い、言ってはいけないものだから。
森さんが静かにコーヒーを口に運ぶ姿を僕は視覚的に捉えていた。しかし体も口も動かない。時間制限付きのパズルをしているようだった。
早く対処しなくては全て終わってしまう。なのに焦れば焦る程対処がわからなくなる。それはわかっているから余計慌てる。
森さんはコーヒーのカップを置いて僕に向き直った。
「私はこの場所を嫌いになれないわ。でもここはあなたの苦しみの一つなのよね。でもね、古泉。私はあなたが歯を食いしばるのも嫌なのよ」
嫌、という否定的な言葉をこういう風に微笑んで言う所が、この人の妙なところだよな。僕の混乱した頭は結論を出すのを嫌がった。
僕はこんなに必死なのに。膝の上で掌を組んで彼女は僕をまっすぐ見つめる。
「誰かを好きってことくらい、胸をはって言いたいじゃない」
何故だか 涙が出そうだった。
この人は僕の前に初めて現れた時から、ずっと大人だった。大人は子供よりずっとかしこい。そう考えればすぐわかる。
ああ、ばれてしまったんだ。
僕の浅ましい感情が。許されない彼への想いが。
なのにこの人はどうして僕を責めないんだろう?
これではまるで
これではまるで僕が彼を想ってもいいみたいじゃないか。
「さっきも言ったでしょう?私のこれも我が侭だから」
あなたが好きな人の話、私にも聞かせてちょうだい?
そんな風に言うなんて。訂正。
大人はやっぱりかしこい前に、少し卑怯だ。だってそうだ。
「彼が、好きです・・・」
僕のぐしゃぐしゃになりそうな顔を見て、やっぱりあなたは微笑むんだ。
その夜は森さんの家に招かれてDVD鑑賞会をした。
森さんお気に入りの大型ビデオレンタル店に連れて行ってもらって、普段とは大いに違う彼女の様子に少し驚いたりもした。
どうやら映画鑑賞は彼女の趣味の一つらしい。
森さんが僕に見せた映画はどれもこれも恋愛をテーマにしたストーリーで、曰く「愛の基本なんて男も女も古今東西変わらないのよ」とか。
ところどころ話をしながら鑑賞したものだから結構な本数を見てしまった。
彼女は合間合間にハリウッド俳優の格好良さやストーリーの切なさを語ったかと思えば、僕に彼のことを聞いたりしてくる。
口ごもってしまったけど、彼女の微笑みの圧力にはやはり勝てない。言わなくていいようなことまで言わされた気がする。
数本の映画に加えてそれでは時間が経過するのも当然で、夜中になんとか自宅に戻りすぐ眠ってしまった。睡眠不足で体がなんとなく怠い。
次の日の朝、登校中に彼と会った。
彼を見ると嬉しくなって顔が自然と笑みを浮かべてしまう。そして彼の優しさにちょっぴり切なくなる。
いつもと違うのはその後訪れる悲しみが無かったこと。
昨日の森さんとの会話でガス抜きが出来たのは確かで。人間息抜きは必要だと実感した。
彼の優しい言葉にほっとすること。拗ねたように無意識に口を尖らせる仕草を愛らしいと思うこと。それが素直に嬉しい。
僕は間違いなく浮かれていた。この想いを永遠にしまわなくてもいいことに。
彼に告げるつもりは無いけれど、それでも僕一人の胸にしまわなくてもいいことに。
彼が笑顔でいてくれるのが最上の喜びだけど、でもあと少しでも彼の横で笑顔を見させて欲しい。
この気持ちは伝えることが出来なくても。
その日彼と話す間、胸にはずっと淡い光が散っているようだった。
彼の言葉に花の様な光がぱっと弾ける。素直な言葉が出る。
恋してるのを嬉しいと思ったのは初めてだった。
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09.1.31
加筆修正 2.4
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